東京家庭裁判所 昭和40年(家)6742号 審判 1965年8月12日
申立人 宗教法人○○寺
右代表役員住職 大西尚英(仮名)
被相続人 亡林田久(仮名)
主文
被相続人亡林田久の相続財産のうち、金三三万五、〇〇〇円および仏壇一個を申立人に分与する。
理由
本件申立の要旨は、「被相続人は、釈幻影童女(明治二六年七月二日寂、俗名林田みさ、続柄姉)釈瑞園信士(明治四一年一月二六日寂、俗名林田吉造祖父)、釈教願信士(大正七年九月一四日寂、俗名内田市男、弟)、釈妙久信女(昭和六年二月一日寂、俗名内田くめ、母)、釈妙瑞信女(昭和六年二月一一日寂、俗名林田まつ、祖母)の遺骨を埋葬した本家林田家、分家林田家の二基の墓を相続し、信仰の志深く崇祖の念篤く、当○○寺護持と仏法弘通につくして来た。日頃から相続人のないことを憂い、無縁墓となることのないよう永代供養料を上納し、しかる後往生を遂げたいと切望していたが果さず、突然病を得て昭和三八年一一月一七日永眠した。法名を珠光院釈妙延大姉と贈り、同月一九日埋葬した。故人生前の志を尊重し、無縁墓とならないようとりはからい、その篤信の遺徳を顕彰し、林田家先祖代々の霊位とともに永代に回向したいと存じ、その供養料として、申立人に対し相続財産の一部を分与されたく本申立に及ぶ」というのである。
よつて審案するに、別件相続財産管理人選任審判事件(当庁昭和三八年(家)第一一七五五号)および相続人捜索の公告審判事件(当庁昭和三九年(家)第六七六二号)の各記録、申立人代表役員大西尚英および亡林田久相続財産管理人野村文男の各審問結果を綜合すると次の事実が認められる。
(1) 被相続人は父亡林田三之助、母亡内田くめの二女として、明治二七年九月三日東京市○○区○○町で出生、母方祖父亡林田吉造の経営する○○なる料理店の娘としていわゆるお嬢さん育ちに育てられ、幼少より遊芸を好み、踊、清元、歌、歌沢、画、書、茶の湯、生花、琴、小鼓、謠曲、仕舞など女芸百般を仕込まれたが、帝国劇場の技芸学校に学び、第一回卒業生として、帝国劇場開場以来、林田久子なる舞台名をもつて女優として舞台に立ち、昭和八年頃退職した模様である。また昭和六年三月頃、○○流舞踊の家元五代目○○条三郎より六代目家元を継承し、○○社紫松なる名を以て名流舞踊大会などに参加して活躍した。その間に、姉みさは明治二六年七月二日、弟市男は大正七年九月一四日、祖父吉造は明治四一年一月二六日、母くめは昭和六年二月一日、祖母まつは同月一二日にそれぞれ死亡し、爾後被相続人は天涯孤独の身となつた。なお、父林田三之助は、被相続人の祖父吉造夫婦の養子となり、同時に、内田家を継いだ母くめ(吉造夫婦の実子)と内縁の夫婦となつて、被相続人等一男二女をもうけたが、被相続人の四、五歳の頃離縁並びに内縁関係解消となり、爾後の所在は不明で、かつ除籍簿の戦災焼失でその死亡の年月日も知ることができない。
(2) 被相続人は生涯結婚しなかつたが、昭和一三年頃から元宮内省雅楽長であつた東義男氏と、はじめは笛の師弟関係で、後に愛人関係となり、○○区○○の住居で、東氏死亡の昭和二六年まで同棲したけれども、その間に子は出生しなかつた。東氏死後、被相続人は一人で生活していたが、昭和三六年七月頃○○区○○の土地を約八〇〇万円で売却し、その金で○○○区○○○町二丁目七四番地に土地家屋を購入して転居し、以後近所つき合は全くせず、来訪客もごく稀で、時折茶の湯の会と墓参に出向く程度のひつそりした生活をしていた。そして昭和三八年頃から肋膜炎を患い自宅療養中、同年一一月一四日朝突如脳卒中で倒れたが、一人暮しのためその発見が後れ、同日夜になつて医師の来訪を受け、救急車で近くの病院に入院されたけれども、そのまま意識を回復せず、同年一一月一七日に死亡した。
(3) 右のとおり、被相続人は相続人なくして死亡したので被相続人の従姉妹山口京子(被相続人の亡母くめの弟次男の子)において葬儀万端執り行い、かつ同年一一月二六日当庁に相続財産管理人選任を求め(昭和三八年(家)第一一七五五号)同年一二月二三日東京都○○○区○○○二丁目二番地○○○四階四二五区野村文男が管理人に選任された。爾来同管理人において管理事務が遂行され、また昭和三九年三月一三日相続債権等申出の公告がなされ、更に同管理人からの相続人捜索の公告の申立により(昭和三九年(家)第六七六二号)、当裁判所は昭和三九年七月一四日相続権主張の公告をなしたが、催告期間が満了した昭和四〇年三月三一日までに相続権を主張する者はあらわれなかつた。そして、申立人は右催告期間満了後三ヵ月以内に適法に本申立に及び、かつ、他に特別縁故関係を主張して本相続財産の分与を求める者はいなかつた。なお、本件相続財産は、右管理人の報告によれば、宅地(三六坪一勺)居宅(木造瓦葺二階建、建坪一六坪五合、二階九坪)、現金預金債券等(合計約二七七万円)をはじめ、貴金属、家具什器、衣類等の動産類はおびただしい数量にのぼり、その時価は、管理人の常識的直観的な評価によれば、大体一、二〇〇万円乃至一、五〇〇万円位とのことである。
(4) 申立人方境内には、本家林田家、分家林田家の二基の墓が建立してあり、被相続人は生前時折墓参に来ていたが、その際申立人方住職に対して、右墓が無縁墓とならないよう永代供養料を上納した上で往生を遂げたい旨申し述べていた。しかし前記のとおり、突然病に倒れ、意識を恢復しないまま永眠したものである。また被相続人は、申立人の本堂再建懇志として、昭和三〇年頃金二万二、五〇〇円の寄進を申し出で(内金一万一、五〇〇円は昭和三六年頃納入)更に追加分として昭和三六年頃金二万円の寄進を申し出ていた(これら未納金三万一、〇〇〇円については、一種の贈与契約の未払金として、別途管理人から支払われる予定である)。
ところで、右認定事実に照し、申立人が果して被相続人の特別縁故者に該当するかどうかについては若干の疑問なしとしないが、少くも被相続人が生前に遺言をしたとすれば、申立人に対して遺贈の配慮をしたであろうと期待できることは間違いないであろう。仏法信奉者にとつては、誰しも来世の冥福を願わぬ者はないであろうし、特に被相続人は信仰の念が篤かつたものと思われるからである。他方、被相続人は一、二〇〇万乃至一、五〇〇万円の財産を遺し、これを国庫に帰属せしめて国に貢献するものであるから、国としてもその霊位安堵のため供養等につき配慮するのは極めて当然であり、かりそめにもその墓が無縁墓となつて取り片付けられることのないようにすることが必要である。したがつて、民法第九五八条の三の規定の解釈上、被相続人の菩提寺をもつて特別縁故者とすることには若干の疑義がないでもないが、他に被相続人の供養をする適当な者がいない以上、菩提寺たる申立人をもつて被相続人の特別縁故者とし、これに相続財産の一部を分与するのが相当である。
そこで進んで、申立人に分与すべき財産とその程度につき検討する。当裁判所の釈明に対し、申立人代表役員は次のとおり今後の供養等に必要な費用を提示した。
(イ) 被相続人の三五日忌納骨より五〇回忌までの法要費金六万五、〇〇〇円(一法要当り五、〇〇〇円として一三法要の費用)
(ロ) 被相続人の祖母、母、弟等の三七回以降五〇回忌までの法要費金三万五、〇〇〇円(一法要当り五、〇〇〇円として七法要の費用)
(ハ) 両彼岸、盆、暮、正月香華料金一七万五、〇〇〇円(一香華料当り七〇〇円として年間三、五〇〇円の五〇年分)
(ニ) 護寺会費金六万円(月額一〇〇円として年間一、二〇〇円の五〇年分)
以上計三三万五、〇〇〇円は、被相続人の相続財産に照らし、申立人に分与すべき金員としてはまことに適当であると認める。次に、申立人は林田家の位牌(又は過去帳)を預りたい旨申し出ているが、右位牌は相続財産中仏擅の中に安置されており、そして右仏擅は申立人に保管せしめるのが最も適当であるから、右仏擅一個をも申立人に分与することとする。
よつて主文のとおり審判する。
(家事審判官 日野原昌)